「ダンクーガ ノヴァ以降」

Posted by h-wired on 4月 1st, 2000
2000
4月 1

 嗅ぎ慣れない、強い潮の香り。
 ボブは鼻を鳴らし、その香りを肺一杯に吸い込んだ。静かに吐き出す。まるで溜め息をついているように。

 レバノン南部の港町、サイダ。旧市街の一角は、まだ日も高いというのに人一人見あたらない。潮の匂いと、照りつける太陽。立ち上る陽炎の向こうには、乗り捨てられた車が放置されている。稀に状況が読めていない猫が道路を横切る他は、動くものもなかった。静かだ。とてもではないが戦闘下にある街とは思えない。

 ボブは、今度は自分に言い聞かせるように、明示的に溜め息をついた。やはりこんな場所にくるのではなかった。今や廃屋と化してしまったホテルの2階。薄く開けた鎧戸の隙間から音もなく太陽が差し込み、部屋の床をゆっくりと細く灼いていた。
 自身の汗で蒸れてしまったヘッドホンを外し、もう一度大きく溜め息をつく。無線は先程、援軍の到着を告げたきり、黙り込んでしまっている。散発的に発されるノイズから何らかの情報を聞き取ろうと、かなりの時間真剣に努力したが、無駄だった。デジタル暗号化されているのだろう。戦場というものは、既に自分などが追いつけないような技術レベルになっているはずだ。

 ボブは、窓の外から見られないように注意を払いながら壁にもたれかかり、楽な姿勢を取った。無線を聞き逃さないように音量を少し上げる。床に置かれたヘッドホンから稀に聞こえてくるノイズは、一昔前のラジオのようだった。

 「ダンクーガ ノヴァ以降」

 おそらく歴史の教科書にはそう書かれているだろう。戦場に現れ、戦況をイーブンにして、ただ去る。人はその存在を神とさえ呼んだ。その神が一体何を望んでいるのか、誰も知らない。強者から見れば、破壊の悪魔。弱者から見れば、救いの神。そんな神が世界に現れる様になって、もう何年になるだろう。

 神の標的となる「戦況」には兵士、すなわち人間も含まれる。強者の兵は「神に殺される」運命を辿る事になるのだ。勝ちにいく事がすなわち死に繋がる。そんな戦闘に積極的に赴く兵士は少ない。
 では、「神」によって戦争、紛争は縮小されたのだろうか。答えは否だ。情勢を安定させるための、あるいは国民を納得させるための、パフォーマンスとしての戦闘は依然として必要だった。人は「神」に殺される人間を極力減らす努力をした。

 無線ネットワークが進化し、デジタル暗号が進化し、ハードウェアが進化し、ソフトウェアが進化した。そして、それらがもたらしたのは「戦闘の無人化」だった。既存の兵器を無人で運用する技術が研究され、実戦投入された。「兵士」という言葉の意味は短期間で変わってしまった。現在、「前線兵士」という言葉が指すのは主に「無人兵器ネットワーククラッキングのプロ」だ。
 一方で、さほど意味が変わっていない言葉もある。その一例が「スナイパー」だ。戦闘そのものを行うのが無人兵器であっても、操作しているのは人間だ。最適化されたアルゴリズムによって、一人の人間が大量の無人兵器を操作する事も珍しくない。スナイパーはそんな操作側の人間を、物理的に殺す任務を負う様になったのだ。

 階段が軋む音が聞こえた。聞き逃してしまいそうな、家鳴りのようなごく些細な音だったが、逆にその事実がボブを緊張させた。明らかに素人ではない。相変わらずノイズを散発的に発している無線機をそのままにして、ドアの死角に滑り込む。ヒップホルスターからグロック17をゆっくりと引き抜き、薬室を確かめた。
 ドアの向こうで相手が動く気配がする。部屋の中の様子を察したようだ。間違いなくプロだろう。しかもボブと同じような、古いタイプの。
「援軍だ」
 周囲をはばかるような低い男の声。歳の頃は30代だろうか。
「暗号鍵を」
 ボブは肩ベルトに固定したPDAを操作しながら言った。数秒の間があって、PDAが受信と照合の確認を表示した。

「レイジだ」
 そう名乗った若者は、モンゴルの特徴的な民族衣装に身を包んでいる。名前や顔立ちから東洋人だと想像できるが、流暢な英語を話した。
 それよりもボブが驚いたのは、相手が二人だったことだ。音も立てずレイジについて入ってきた線の細い女性。意志の強そうな黒い瞳。戦場に出る人間特有の匂い。彼女がエレンと名乗った時、ボブは理解した。
「ああ、貴方がたが、”ファントム”」
「そう呼ぶ者も、数字で呼ぶ者も、もうほとんどいなくなった」
 レイジは懐かしそうな眼でそう言って笑い、ボブと握手を交わした。
「ボブだ。人を撃たなくなって久しい」
「仕事になるのか?」
 苦笑気味に漏らすレイジ。しかし、直後に彼は苦い顔になった。エレンがしたたかにレイジの向こう脛を蹴り飛ばしたのだ。レイジからの抗議の視線を真正面から受け、エレンは静かに言葉を発する。
「彼はボブ・リー・スワガー」
 それだけの言葉だったが、レイジはみるみる驚愕の表情になった。ボブに向き直り、日本人式に一礼する。
「失礼しました。貴方が、”ボブ・ザ・ネイラー(名手)”」
「君と同じで、そう呼ぶ者も、もうほとんどいなくなったがね」
 レイジとボブは、お互いに苦笑を交わした。

 唸りを上げて道路を横切っていく車両が窓から見える。BM-21「グラード」。多連装ロケットシステムを搭載したトラックで、ロシア製の骨董品とでも言うべき兵器だ。無人化が施され、運転席に人間の代わりに乗っているのは、いびつな形をした無線操作システム。どう考えても人間並の感覚器官は装備されていないが、それでも3人は自然と息を殺して、その無人兵器の通過を待った。遥か遠くから戦火の音が聞こえる。悲鳴も、流血も無い戦闘が始まっていた。

「来たぞ」
 ボブのその声に、レイジは空を見上げる。
 旧市街に影を落とす威容。
 世界に戦闘あるところ、常にその姿がある。
 そう、「神」が現れたのだ。

「さて、お仕事の時間だ。兵隊さんたち」
 無線から陽気な声が飛び出る。その声は、ダンクーガの起こす破壊行動の轟音をものともせずに部屋に響きわたった。
「誰だ、お前」
 レイジが無線機を手に叫ぶ。
「お前ってのはつれないねえ」
 まるでラジオのDJのような陽気さで無線の向こうの男が答える。
「あんたがたをターゲットに誘導する健気な通信士、兼傭兵よ。ディクシーと呼んでくれ」
「傭兵?」
「おうよ」
 ボブの問いに、さも愉快そうに答えるディクシー。
「ちゃあんと戦闘行動もするぜ。ただし、無線ネットワーク経由でだがね」

 事実、ディクシーの働きは目覚ましいものだった。無人兵器はコントロールを失い、時にはボブらの有利になるような行動さえしてみせた。ネットワーク経由での兵器クラックだ。ボブとレイジ、そしてエレンが各々のターゲットを捕らえ、狙撃体勢に入るまでに15分を要さなかった。操縦手という兵を失った戦場に残るのは、ただ圧倒的な破壊のみ。弱者の兵器を強者の兵器が破壊し、そして強者の兵器をダンクーガが破壊した。血は一滴も流れなかった。
 勝敗は、物理的な場所を超越したところにあった。ネットワークの中だ。
 そこでは明らかに勝者と敗者が存在した。

「戦場が”レイヤー化”している」
 とディクシーは言った。
「物理層の戦争が意味を持たなくなってきている」とも。
 実際にその通りになっている。

 ボブは、無線に向かって呟いた。
「私のような老人にだって判る」
 その言葉は、どこか寂しそうだ。
「我々のような人間の時代は終わった」
 しかし、何故か嬉しそうでもあった。
「”神”が、終わらせたんだ」

登場人物

  • ボブ・リー・スワガー(極大射程、他)
  • アイン、ツヴァイ(Phantom of Inferno)
  • ディクシー・フラットライン(ニューロマンサー)
極大射程〈上巻〉 極大射程〈上巻〉
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